91歳母が心中を決断する国とは・・・
4日、福岡の裁判所で、91歳 手押し車を押す母親が、61歳の次女を殺害した事件の裁判が行われ、懲役4年が求刑された。
事件の概要は以下
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起訴状によると、母親は2008年7月30日午後9時ごろ、福岡県立花町の自宅で、次女に承諾を得て睡眠薬を飲ませ、ビニールひもで首を絞め、窒息死させたとされる。自分も睡眠薬を飲み、ビニールをかぶったが、一命を取り留めた。
次女は夫を亡くし1987年から精神科病院の入退院を繰り返していた。07年の正月。やせこけ一時帰宅した娘が、「病院でいじめにあっている」と訴えた。「自分が娘を治してみせる。最後のお願い」。周囲は反対したが、08年3月、母親は自宅に娘を引き取った。
事件は約5カ月後に起きた。「一緒に参ろうか」「ばあちゃんそうしよう」‐。遺書に連名で署名。ベッドの横に並び、手には数珠を握らせた。
=== 西日本新聞から抜粋 ===
介護苦からの心中。法廷では、孫にあたる遺族の息子さんや被害者である娘さんに、泣きながら謝罪したそうです。
人生も集大成を迎えようという年齢で、実の娘と共に死を決断せざるおえなかったことが、とても切ない。懲役4年の求刑が、軽いか重いかは別にして、反省し、後悔している老人を、『施設』で預かってもらえるのは、ある意味人情ある求刑なのかもしれない。一度は死を決断した人である。孤独になれば、再び死を決断することもあるだろう。
このニュースは2つの点が気になった。
ひとつは、この手のニュースは最近目につくが、現実に『日本』で起きている現実であるということ。経済先進国の日本は、今後高齢社会先進国になるのは間違いない。高齢社会先進国では、このような決断をしなければいけない人が増えるということなのか?
そうであっていいはずがない。
想像するに、彼女達にはこらえきれない孤独感と不安感があったのだと思う。今でも全国でそのような気持ちで日々を過ごしている人は数多くいるはず。国は、地域は、社会は、それをどうやって払拭して行くつもりなのだろうか?
将来、僕自身が介護される立場になるかもしれないし、介護する立場になるかもしれない。僕の祖母は、今年米寿のお祝いを迎えるが、体も弱く、さらに足が悪いため、ほぼベッドで寝たきりの状態である。母を始め、兄弟、家族のみんなで協力して顔をみせ、声をかけ、元気づけている。国民、地域、社会全体が、もっと余裕を持って人と接することができ、人と接したくなるような世の中、国づくり、地域づくりをしないといけない。
中福祉中負担をうたう自民党、実は高福祉高負担と言われている民主党。
なんども言うが、僕は生活に安心できる社会を作る為の高負担は仕方ないと思っている。どんなに苦しくても、経済大国日本で、身内を殺害しなければ解決できないという決断になってしまう社会であってはいけない。こんなニュースはあってはいけない。
もうひとつは、裁判員制度。
当然、これも対象時期であれば裁判員が任命され、量刑を決めることになる。
僕は、被告とともに泣いてるかもしれない...。
今日は、前述した祖母の誕生日。
お誕生日おめでとうございます。
お盆には、ひ孫を連れて帰ります。ばあちゃんの米寿をお祝いできることが、とてもうれしいです。
お盆がとても楽しみです。
